湯川秀樹と『山海経』。荘子です。 今日は、湯川さんの「『山海経(せんがいきょう)』の絵図を見て」というエッセイを。 ≪『山海経』の絵図を見て 私が大学卒業前後の数年間を過ごした両親の家の座敷には、額が二つ、かかっていた。一つは内藤湖南先生の「流観山海図」、もう一つは狩野君山先生の「静観」というものであった。この二人は私の父の親友でもあった。四十年ほど前のことであるのに、今でもときどき、この二つの額が念頭に浮かぶのは、優れた書のもつ不思議な力である。 「流観す山海の図」という方は、陶淵明の「山海経を読む」と題する詩の中の一句である。私の父は地理学者、地質学者であったから、中国古代の地理書ともいえる『山海経』を研究していたことがある。湖南博士は、それに因んで額の字句を選ばれたわけであろう。父の話を聞いていると、時たま『山海経』とか『水経注(すいけいちゅう)』とかいう本の名前が出てきたが、私はあまり関心を持っていなかったので、そんな本を見たという記憶も残っていなかった。最近になって平凡社の中国古典大系の一冊として『抱朴子』や「列仙伝』『神仙伝』とこみになって『山海経』の現代語訳が出版されたので、昔なつかしさに手にとってみた。まず目についたのは、巻末の図録である。そこには何をもいえぬ、気味のわるい怪物の絵がならんでいる。その瞬間、私の記憶がよみがえった。昔、確かに、こんな怪獣、怪鳥、怪魚の絵を見たことがある。だから、やはり父の書斎で、『山海経』をのぞいたことがあるに違いない。虎が人間の顔をもち、鳥が女のような顔をしている。それらが生々しくて、気味がわるい。そうかと思うと、羽根のはえた魚、背中に亀の甲をもつ魚がいる。だいぶ前から、子供の漫画の本などに、いろいろな怪獣が現れたが、それらは科学文明の発達した社会の中で考え出されたものであるから、むしろロボットの方に近い。『山海経』の怪物は、生物進化の過程で、間違ってできた畸形を連想させる。 これらの図絵の原型が、どの時代に描かれたのか、私にはわからぬが、本文の方を読んでみると、東、西、南、北、どちらの方向の山の中にも、それぞれ怪獣や怪鳥、あるいは奇怪な神や人が住んでいる。それが絵と対応しているたしいが、むつかしい漢字が次々と出てくるので、私などには、ほとんどチンプン、カンプンである。殷、周の青銅器の怪獣の方は、複雑怪奇とはいうものの、むしろ現代のいわゆる怪獣に似ているように感じるのは、どうしてであろうか。≫ ・・・『山海経(せんがいきょう)』という本は、動植物や鉱物を地理的に分類した書物で、湯川さんのお父さん、小川拓治さんも研究なさっていたものです。ただし、この本にはおびただしい数の空想上の生物が記述されておりまして、しかも絵付きなもので「幻獣図鑑」や「妖怪図鑑」として珍重されています。 現代にも通じるところで言うと、日本で最も有名な妖狐・九尾の狐の記録も『山海経』にあります。 参照:Wikipedia 山海経 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%B5%B7%E7%B5%8C 九尾の狐 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B0%BE%E3%81%AE%E7%8B%90 湯川さんが例示している「虎が人間の顔をもち」は、「馬腹(バフク)」を、「鳥が女のような顔をしている」は、「禺彊(グウキョウ)」を指すかと思われます。 この禺彊(グウキョウ)は、ギリシャ神話のハーピーとよく似ていまして、その辺も興味深いところであります。 参照:ハルピュイア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%94%E3%83%A5%E3%82%A4%E3%82%A2 ≪陶淵明が眺めて楽しんでいた「山海の図」とは、一体どんなものであったのか。「俯仰して宇宙を終(つく)す、楽しからずしてまた如何(いかん)」というわけで、『山海経』の中の鳥獣に因んだ神話のいくつかを、美しい詩にまとめている。彼は「桃花源記」にも見られるように、想像力の豊かな人であったが、同時に、また生活に密着した詩を得意とした。私たち現代人にも身近に感じられる陶淵明はしかし、四世紀後半から五世紀前半にかけて生きていた、日本の歴史の中において見れば、気の遠くなるほどの大昔の人である。 『山海経』の序文を書いた郭璞(かくぼく・通常の読みはカクハク)や『抱朴子』や『神仙伝』の著者葛洪(かっこう)はどちらも陶淵明より、さらに百年近く前の人であり、『列仙伝』の著者劉向(りゅうきょう)に至っては紀元前一世紀の人である。彼らが数百年も生きながらえた仙人の実在を信じていたことに、何の不思議もない。むしろ古代中国の思想史に関して驚くべきは、もう一段と古い先秦時代に神話や呪術や怪異から、ほとんど全く解放された思想家が輩出したことである。孔子が怪力乱神を語らないことと決めたのは、非常に大きな思想の飛躍であったであろう。『荘子』にはさかんに神話的な人物が登場するが、彼らの対話は哲学的であって、迷信的でなく、現代の私たちにも思想として訴えかける内容をもっている。(同上)≫ 『荘子』には、人間だけでなく、動植物や空想上の生物が数多く登場します。それは古い言い伝えであったり神話に属するイメージがふんだんに取り入れられていることの証左ではあるんですが、『荘子』を通して描かれるそれらは、一般的に言われる「神話」や「迷信」の枠に入っていないことも確かです。 ・・・例えば、ユングのシンクロニシティを説明する際の「金色のコガネムシ」の話とよく似ている『荘子』の「桓公が見た幻覚」のお話。 参照:ユングとタオと芭蕉の鬱。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5050 ・・・芥川龍之介の『歯車』に登場する「屠竜の技」も然り。 『朱泙漫學屠龍於支離益、單千金之家、三年技成、而無所用其巧。聖人以必不必,故無兵、衆人以不必必之、故多兵。順於兵、故行有求。兵、持之則亡。』(『荘子』列禦寇 第三十二) →朱泙漫は支離益に龍を屠ふる技を学び、千金の財と三年の月日を費やしてその技を習得したが、結局、使うことはなかった。死を恐れない聖人は窮地においても、窮地としないから内に敵意がなく、死を恐れる世俗の人間は、窮地でなくても窮地にしてしまうから敵意ばかりになる。その敵意をむき出しにして、外に向うのだから、己を滅ぼすのだ。 「竜を屠る者(Dragon Slayer)」という、世界の神話の中でも普遍的なモチーフが載せられていながら、その描かれ方は、驚くべきものだと思います。 参照:Wikipedia ドラゴンスレイヤー http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC 参照:芥川龍之介と荘子。 http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5048 ・・・芥川龍之介が「寿陵余子(邯鄲の歩み)」や、「屠竜の技」を『荘子』ではなく、『韓非子』だと間違えたのは、結構共感できまして、『荘子』と『韓非子』は同じ「宋」の国の人で、時代は違えど、文化的な土壌が同じなんです。韓非子は道家についても触れていますし、『老子』の引用があったり、寓話の使い方が巧みな点や思考のプロセスにも似通ったところがあります。『韓非子』には『荘子』にあってもおかしくないものも多いです。あと、彼がもともと吃音であったというのも、似てしまう一つの要因だったと思います。 例えば、 『人希見生象也、而得死象之骨、案其圖以想其生也、故諸人之所以意想者皆謂之象也。今道雖不可得聞見、聖人執其見功以處見其形、故曰「無状之状、無物之象」。』(『韓非子』解老 第二十) →人が生きたゾウを見ることは希である。だから、死んだゾウの骨からその図を案じ、生きたゾウを想った。故に、諸人が皆「思い浮かべるかたち」を「象」というようになった。今「道」というものは見ることも聞くこともできず、聖人は、その見えざる「道」のあらわれを見てとり、これを形を示した。だから『老子』にこうある「無状之状、無物之象」と。 象の骨を並べ、見たことのない「象の象(ゾウのかたち)」を思い浮かべる。「想像」の語源は、これだろうと言われています。 骨を並べて想像するならば、紀元前の人間にとっての、龍の実在性は・・・。 ≪これを裏返しにすれば、これらの思想家の出現以前に、さまざまな神がいた。怪物もいたに違いない。それが山海経の中で生き続けた。陶淵明は、それを読んで、大いに空想を逞しくできた。現代の私には、気味がわるいだけで、理解は困難である。そんなら、もう怪物は、この世からすっかり消えてしまったのか。どうもそうではないらしい。科学文明がいくら進んでも、人間の怪奇なものに対する好奇心は、なくなってしまわないらしい。それどころか、現代科学はとんでもない怪物、巨大な怪物を次々と生み出しつつある。その中には空想的怪物より、もっとグロテスクなものさえあるものである。(一九六九年)(「『山海経』の絵図を見て」 湯川秀樹著作集6 読書と思索より) 参照:C.G. Jung - the Power of Imagination http://www.youtube.com/watch?v=7GUJOIM7KUk 今日はこの辺で。 |